過去のおいんでんせえ
バックナンバー:第十二幕『岡山の先駆者たち2』
森田 思軒

英文学、漢学を修め、新聞記者を経て、翻訳家に


森田思軒の墓 森田思軒の墓
森田思軒は明治時代のジャーナリストであり、作家であり、翻訳家。
特に、翻訳で多くの実績があることから、「翻訳王」とも評された人物です。 現在の岡山県笠岡市に生まれた森田思軒は、慶應義塾で英文学を学び、そのあと、岡山の興譲館で坂田警軒について漢学を修めます。そののち、新聞記者、編集者として敏腕を振るいます。 彼が有名になるのは、ビクトル・ユーゴー原作の『探偵ユーベル、ジュール・ベルヌ原作の『冒険奇譚十五少年』をはじめ、多数の翻訳を発表し、海外文学の紹介に努めた実績から。
25歳で翻訳の仕事を始めて活躍しますが、わずか36歳の若さで腸チフスで病没。徳富蘇峰、幸田露伴、森鴎外らの文豪とも親交を持ちました。

翻訳の心得


いまの日本語はいろんな言葉が入り乱れています。かわいいとか、ダサいとか、イケてるとか、新語、俗語だらけです。日本人特有の言葉のニュアンスを、よその国の言葉に置き換えるのはたやすいことではありません。
英語を使う人が良く使う「オー、マイガッ」にしろ、直訳すれば「おお、私の神様よ」ですが、「なんてこったい」的なカルーイ使われ方もある。世の中、グローバルで小学校から英語の授業がありますが、常に、翻訳、意思伝達といった問題はついて回りそうです。
洋画の日本語字幕。あれは、限られた文字数で役者の言葉を訳していますが、森田思軒に言わせれば、本来の翻訳ではありません。日本人向けのニュアンスを盛り込んで和訳しているからです。 森田思軒は、翻訳作品に合わせて翻訳法を模索してきました。その過程で「翻訳の心得」なるものを発表します。その第一は、「原文に無縁の、その国特有の語を使用しないこと」。たとえば、「肝に銘ず」は日本特有なのでダメで、「心に記す」といった具合。翻訳って、やっぱり微妙で、難しい世界なんですね。

プロフィール
森田思軒 もりた しけん(1861-1897年)
明治時代に活躍した新聞記者・翻訳家・漢文学者。本名は文蔵。号はほかに、埜客(やきゃく)、羊角山人(ようかくさんじん)、白蓮庵主人(びゃくれんあんしゅじん)、紅芍園主人(こうしゃくえんしゅじん)など。なんとも難しすぎます。この号の意味を翻訳してほしいくらいです。